インドネシア、スマトラ沖地震・津波災害への支援の輪
台湾、国立鳳新(Fengshin)高級高等学校
2005/01/08 |
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皆様へ
こんにちは。ドリス・ウーです。
私はこのほど、国立科学技術館で行われた地震展示会で責任者を務めた柯さんを訪ね、お話をうかがいました。私は彼から学んだことを直ちにお知らせしたいと思い、アイアーンのフォーラムと防災会議メーリングリストの両方に投稿いたします。
ASEP活動に参加のため台湾を訪れていたインドネシアの先生と学生が帰国するのを私は見送りましたが、まさにその直後、その日のうちに大津波が起こりました。
この出来事を知って、私の生徒たちは海外の友人たちのことをたいへん心配しました。
それ以来、生徒たちは、毎日インドネシアとマレーシアにいる彼らの友人たちと連絡が取れないかと私に頼んでいます。
彼らのことを案じる思いに突き動かされ、生徒たちは「ワールド・ビジョン」の募金活動に応じて、自分たちのポケットマネーの大部分を被災地へ寄贈しました。
地震と津波のあったあの日からすでに9日間が経過しています。
私たちはもう、次の段階~再建のために我々が本当に何ができるのか、を考えるときに来ています。
私は4人の生徒と一緒に、国立科学技術館で行われた台湾中部震災(1999年9月21日)の展示会で責任者をされた専門家(柯さん)を訪問しました。
彼は教育のために多くの示唆に富んだ観点を私たちに与えてくれました。
1.
被災者にとっては、お金の寄付は最重要ではない、と思われます。
それよりも、食糧や衣服、安全と衛生、といった基本的ニーズが最優先です。
9月21日の震災のときで言えば、多くのボランティアやNGO組織が災害のすぐ後に被災地を訪れました。そこで彼らは、被災者に生活必需品を配給したり、街を片付けきれいにしたり、衛生状態を保ったりするのを手助けしました。
2.
被災地住民と一緒に悲しんだり泣いたりするのではなく、支援者は現実的な方法で働きました。
たとえば、壊れた家屋を再建したり、亡くなった方々の葬儀を執り行ったりすることです。
支援者が被災住民と一緒になって泣くのはむしろ簡単ですが、そんなことをしても被災者がもとの生活に戻れるよう手助けすることにはつながらず、「建設的」な行為ではありません。
3.
私たちは教育者として、学生として、さまざまな方法で被災者への思いを現わすことができます。
ひとびとから暖かい言葉を寄せてもらい、それらを多くの人へとひろげてゆく。
電子メールで、ポスターで、絵はがきで。
私たちはそうした取り組みを、クラスで、学校で、地域で、自治体で取り組みます。
私たちが長期にわたって関心を持ち続け「忘れない」でいることが、苦境にある私たちの友人を励まし「自らの足で立ち上がる」ことにつながることでしょう。
本当に役に立つのは、お金ではなく、「関心を持つ」ということです。
4.
何よりもまず考えるべき、保障されるべきなのは子どもたちの教育です。
1999年の震災では、中部台湾でおよそ1000校もの学校が教室とすべての施設を失いました。
したがって、学校再建プロジェクトの大規模に、ほぼ一斉に開始されました。
学校再建の期間、これらの学校の生徒たちは、被災していない他校に一時預けられました。
被災生徒は近くの被災してない学校に預けられました。
彼らは、受け入れ校の生徒たちと一緒に勉強したり遊んだりしました。
彼らは受け入れ校の大講堂に全体でいました。
つまり、これらの受け入れ校は、被災地の子どもたちの教育を受ける権利を維持するのに役立ったと言えます。たとえ学校再建が長期にわたっても、彼らの教育は犠牲にされないでしょう。
長文となったことを改めておわびしますが、私は、私が専門家から学んだことをすぐに皆さんと共有したいという思いでした。
特に、彼は私たちに緊急のメッセージを伝えました。
すなわち、「私たち人間は、自然と共生して生きてゆくことを絶対に学ばなくてはならない」ということです。
柯さんは、私たちとの出会いを本当に喜んでいました。
それは、私のような教師と学生が自然に関して意欲的に学ぼうとしていること、我々がともに遭遇している困難な状況を解決する手立てを探していること、が彼にはわかったからです。
最も親愛なる先生がた、教育コーディネーターの皆さん、私たちは必ずや次世代の子どもたちの姿勢を変えることができます。
「我々ひとりひとりが正しい目的を持ち小さな行動をすることで、必ず大きな変化に
つながる」ということを、私たちが常に心がけていれば、必ず!
翻訳: ジェイアーン 植田
泰史
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